減災・防災

希望の光〜東日本大震災によせて

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星を使って自分の幸せを生きる西洋占星術師、産業カウンセラーの高橋カオリです。

昨日、東日本大震災から14年目の日を迎えました。

14時46分、職場で他の職員と一緒に黙祷を行いました。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

前日の3月10日(月)に、サンドイッチマンが松島基地を訪ねるTVを放映していました。

松島基地は、ブルーインパルスの拠点です。

    

震災の翌日、九州での飛行が予定されていたブルーインパルスは偶然にも津波の難を逃れ、その後ブルーインパルスのアクロバット飛行は「復興の象徴」として、私たちを勇気づけてくれました。

10日のTVでは、ブルーインパルスのアクロバット飛行を見ながら、サンドイッチマン(もしかしたら、ずん飯尾さん?今江元楽天球団の監督?」かもしれない)が「希望の光!!!」と叫んでいたのを見て、「まさにそうだなぁ」と激しく同感していました。

     

東日本大震災では、私は津波の被害はありませんでしたが、家財がほとんど壊れ、電気ガス水道がすべてストップし、近所のスーパーも軒並み営業が停止しました。

当たり前だった日常が当たり前ではなくなった時。

当たり前の日常がどれほど大切であるか、身に染みて分かりました。

・スイッチを押せば、すぐに灯りが点くこと

・食べたお皿がすぐに洗えること

・毎日シャワーが浴びれること

・必要な時に物が買える環境であること

・温かい食べ物が美味しいこと

・定期的にごみ収集車が来てくれること

等々挙げたらきりがない程です。

     

そして、当たり前の日常ではなくなったからこそ気づけたこと、得られたこともたくさんありました。

・信号が点灯していない交差点では、譲り合いで、事故もなくクラクションを鳴らすこともなく、スムーズに車が通過していたこと

・満点の星空だったこと(私が住んでいる地域は、電気が通るまで4、5日かかったので、夜は真っ暗でした)

・会社の昼食時は、それぞれが家にあるものを持ち寄って分け合って食べたこと

・無ければ無いなりに生活する知恵がついたこと

・スーパーで買い物をする長蛇の列で、千円札しか使えないと分かった時に、列に並んでいる人達の間で快く両替をされていたこと

・近所の人同士が協力して、高齢者のために水を汲んだりしてくれたこと(私の実家の話です)

等々、まだまだ思い返されます。

    

そして、ブルーインパルスのように「希望の光」もたくさんありました。

全国からたくさんの支援をいただいたこと。

私は、当時、仙台市役所近くのビルで働いていたのですが、通勤時に仙台市役所前の市民広場という、ふだんはイベント等を開催する広い広場を通って通勤していました。その通勤時、市民広場に、応援に駆け付けれてくれた全国各地のガス局の車が隙間がない位並んでいて、その様を見ながら通勤していました。

また、震災からしばらくは、ヘリコプターの音が絶え間なく聞こえていました。救助か支援物資の輸送をされていたのだろうと思います。

その姿に、励まされたり、ありがたいなと思いました。

   

日本に住んでいる限り、これからも震災やその他の自然災害に見舞われることがあると思います。

被災者になる可能性もありますし、逆に、私たち一人一人が誰かの「希望の光」になることもあり得るでしょう。

それは、有事の時だけではなく、普段においても言えることかもしれません。

私たち一人一人の中に「希望の光」の灯があり、いつでも誰かのために使えるよう、絶やさずに灯し続けていければと思います。

   

最後に、東日本大震災、能登の震災、そして、先日の大船渡の山火事、その他の災害等で、被害に遭われた地域の一日も早い復興をお祈りしております。

    

高橋カオリ